創作すること

Tumblrをはじめるとき、「クリエイターを応援する」みたいなキャプションがあった。 素敵なものをかたちにして、届けてくれるお気に入りのクリエイターさんがいたら、生活がより楽しく、豊かになるだろうな。 そう思った。

それだけでなく、なんとなく。趣味の創作も、手を付けてみたりして。 Instagramで見ていると、趣味の作品をアップしている方も多いから、敷居が低く感じられて、つい気軽な気持ちで投稿できてしまいます。

そういうところも、こういったアプリの、楽しいところかもしれません。

懐かしの母校

おめでたいお知らせと、悲しいお知らせが沢山あった。 いつもは、私には直接関係のない、違う世界での出来事。 だけどその中に、やっと自分のかけらを見つけた気がした。

とても悲しいけれど、とても愛おしい。 抱きしめてもこぼれ落ちてしまうけど、決して忘れることのない。 心に何かを、残していってくれた。

つゆ草

小学校の頃、理科の実験で摘んだ草です。 もう一種類、ムラサキツユクサもあります。花も葉も、紫色です。

家の近くを散歩すると、場所により、別々に二種類のツユクサを観ることができます。 同じツユクサと名前がありますが、同じ場所に生えることはありません。

どちらも水場に生え、綺麗でとても気に入っています。

毒草の少女

小学生の頃、図書館で借りて読んだもの。
大まかなあらすじとしては、植物のふんだんな温室で育てられている少女の元へ少年が迷い込み、愛情を育みながらともに成長してゆく。しかし二人が年頃を迎えた頃、少女の父親から、温室の植物が全て毒草であること、少女は毒漬けで触れると普通の人間なら死んでしまうことを告げられる。というもの。
そこからまた、物語が展開してゆくのですが、、、
今思い出しても心臓がドキドキするほど、この後の展開が痛々しかったんですよね。だけど何故か、ラストを思い出せないんです。。。
毒草の少女 (世界こわい話ふしぎな話傑作集―アメリカ編)

毒草の少女 (世界こわい話ふしぎな話傑作集―アメリカ編)

さみしいということ

さみしい、というと、どうもネガティブな印象がある。さみしい人。さみしい場所。

だけどもう少し踏み込んでみると、それだけじゃない。

さみしければ、誰かに連絡を取ろうとするかもしれない、人が集まる場を設けようとするかもしれない。さみしいことが、意欲を生み、行動の動機になることだってある。

さみしい気持ちって、ひどく人間的だ。誰かと居るとか、みんなと居るかどうかに関わらない。その時の心の在り方で、さみしさは全く違ってしまう。

 

さみしさには、特定の相手に対するものと、不特定多数に対するものとがあると思う。

近しい間柄の人物と一緒にいなくても、人が集まる場所にいると、何となく安心する。

加えて、さみしさには、物理的な距離感に対するものと、心理的な距離感に対するものとがあると思う。

近くにいない、一緒にいないから、さみしい。

伝わらない、理解できない、通じ合えないから、さみしい。

 

私はというと、さみしさを、誰かの活動を目にすることで、紛らわせようとする癖がある。

実はこの前まで気付かなかったのだけれど、占いを読むのを控えようと、占い関連のフォローを外したところ、やたらとさみしく感じた。毎日の占いをチェックするという、習慣がひとつ減ったことは思いの外大きな変化だった。Twitterのつぶやきやブログの記事を読んで、誰かの活動からその存在を感じることで、孤独感が癒されていたらしい。

 

自己否定の深海から浮かび上がる

 先日、友人から「存在不安」という言葉を耳にしました。大まかに表現しますと、己の存在が肯定されている実感を持てない、それ故に常に他者に承認を求め続ける心理状態を指します。

 その時は興味深いなあ、程度に思っていましたが、面白いことを発見しました。

 

 先月末から、趣味で楽器弾きを始めました。講師の勧めで、週末にカラオケボックスで練習をしています。もちろん、まだうまく弾けません。つまづきますし、テンポはめちゃくちゃだし、音色もひどいものです。

 それでも繰り返し練習していると、「○○さん、やめて」「○○さん、うるさい」「ほら、迷惑だって言ってるよ」と、練習を止めさせようとする心の声が聞こえてくるように思えたのです。

 

 まさに、私の中にも『自己否定』が潜んでいたのでした。

 

 実は幼いころ、親戚のお姉さんからお古のオルガンを譲り受け、独りで練習をしていたことがあったのです。

 私の生まれの家は裕福ではありませんでしたから、教室に通うことなんて望んでも叶いませんでした。指の運び方も分からないのに、クリスマスにジングルベルを弾きたくて、一生懸命に練習していました。

 そして、幾つの時だったか……家族の前で披露したのでした。

 

 その時はよかったのです。特に何事もなくクリスマスの日は終わりました。

 二十年も経ったある日、母から苦情を聞かされました。「下手くそだったねー」と。

 

 気付いたのはごく最近のことなのですが、思い出してみると、私は母から褒められた記憶がほとんどありません。小さいころから勉強だけはできる子で、先生たちから褒められていたので、かえって褒める必要を感じなかったのかもしれません。けれども、私の中にはしっかりと「自分は褒められるところのない、つまらない存在だ」という意識が刻まれていたようです。