北極星

先週末、日本トランスパーソナル学会のセミナー「見える星と見えない星」を聴講した。

http://transpersonal.jp/3823/

その中で印象深い話があった。

 

~~~~~セミナーより引用 ここから~~~~~ 

古代、天上は変化しない世界であり、完全なものと捉えられていた。

対する己の周辺の世界は、変化するものであり、不完全なものと捉えられていた。

 

天文学や観測技術が発達した結果、天王星の発見以降、天上は見る・知ることのできる、探究可能な世界となった。

近代の人類は天上に対して、管理・操作を考えるようになった。

~~~~~セミナーより引用 ここまで~~~~~ 

 

古代人にとっての完全な世界というのは、決して手が届かないが、見える場所にあったということだろう。

それはつまり、「完全な世界」は、彼らにとって触れることはできなくとも、確実に「有る」世界だったのではないだろうか。

見えなかった星を見つけることは、人類にとってひとつの関門の突破だったのであろうが、観察対象となってしまった天上は、もはや「完全な世界」ではなくなったのだ。

 

私は、人は心のどこかで、「完全な世界」を求めているように思う。

だからこそ、完璧に物事を進めるとか、質の良い物を産み出すとか、より美しい関係を築きたいと望むのだろうと思う。心の目に映る「完全な世界」を追い求めることで、何かしら前に進んでいけるような気がする。

プラトンの記した、イデアといったところか。

 

「完全」が明らかに「有る」と、皆が肯定できていた世界と、すべては探究しつくされる、探さないと見つからない、「見当たらない」世界。

現代では、心の中に「完全」を思い描くことが、難しくなってしまったのかもしれない。

 

どこに何を求めたら自分が満足できるのか、わからずにさまよう日々は苦しいものだ。

私自身、自分の欲求に気づけず、母や周囲の価値観ばかり頼りにしていたことで、ケージの中のラットのごとく同じ失敗を何度繰り返したことだろう。

心の望みではない道を、求めていると思い込んで強引に進もうとした時は、その度に沢山の人にご迷惑をお掛けしてしまった。

自分の心の底からの欲求に気づけたのは、本当に沢山の人のお陰だ。

数少ない辛抱強い友人が、とりとめのない話を延々と聞き続けてくれたこと。

誰かが生み出してくれた、美しい芸術作品に触れる度に、勇気づけられたこと。

通りすがりの人が、温かい笑顔を向けてくれたこと。

彼・彼女らに、お詫びとお礼をしたいけれど、私は何ができるのだろう?

 

トランスパーソナル心理学という枠組みは、心理学の学術的な探究のために切り離されてしまったスピリットの世界を、再生し、再度融合させていこうというものだそうだ。

見えない世界を伝えていくことはそれだけで大変な苦労だと思うが、そのような気概をお持ちの方達がいらっしゃるというのは、大変心強いことだ。