できることからやってみる

 気が付くと、前回の記事から2か月経過してしまった。立ち上げの時に目的を明確にしておかないと、こういう状況に陥るものだなあ、と反省しつつ、それでも、今、きばってそれを設定しようと張り切るのも堅苦しいので、まずはゆるりと更新してしまおうと思う。

 

 先日(といってもひと月ばかり経つが)、友人から喜ばしいお知らせを聞いた。

 その件については以前、彼女から悲観的な見通しを聞いていた。ただ、その時の彼女は努めて明るく振る舞っていて、それがかえって痛々しく見えた。彼女とは以前からスピリチュアリズムに関してお互いの見解を話し合ったことがあったのだが、今生での学びかもしれない、とまで口にしたのは、彼女の感じているしんどさに、深刻さを感じさせた。

 だがしかし。いったん決意して現実的な行動を起こしたら、あっという間に上手くいったそうだ。驚いたが、幸せそうな友人の笑顔に、心底ほっとした。

 

 確か、村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』だったか。展示された、くじらのペニスの標本のエピソードがあった気がする。そんなことを思い出した。くじらが大きいことは見聞きしていても、それがどれだけの大きさか、見たことがなければ本当のところはわからない。だけど、くじらそのものより大きいはずはない。悲観に引きずられて理性が麻痺してくると、想像の中で、恐れが実際のもの以上に大きく膨らんでしまうものかもしれない。

 

 村上春樹さんの小説で思い出したのだが、以前誰かが、そこに描かれているのはドーナツだ、と言っていた。ドーナツの食べられるところを一生懸命描いていて、肝心な穴の部分を、最終的に描いていない、と。その時の言い方は、皮肉というか、否定的に聞こえた。

 私は村上春樹さんの特にファンという訳ではない。だけど、私にはそれは「ドーナツの穴」と思っている限りは、それしか見えないのだと思う。自由な心持で、素直に受け止めてみると、きっと他のものが見えてくるのではないかな。

 そう言いながらも、村上春樹さんの小説をあまり読んだことがないのですけれどね。そういう期待です。

 

 ともかくは春らしい、ほんのりピンク色に染まったような、ほっとした気分です。