優先順位

 数回「十二月の窓辺」の感想を書こうと試みたけれど、うまくいかなかった。どうしても、自身が受けたパワハラの体験を、引き合いに出そうとしてしまう。それはどうしても避けたいので、残念だけれど、今回は見合わせることにした。

 

 昨日、日常タスクの優先順位を考えていた。しばらくぶりに、やることが増えたためもあると思う。いい機会なので、それについての考えを深めてみたいと思う。

 

 昨日の時点で、↓の順に取り組むと、順調にこなすことができた。

優先順位ー高ー

 自分の身体に関すること(食事とか)

 自分の望みに関すること(夢、今後の希望)

 愛情に関すること

 生活に関すること

 友情に関すること

優先順位ー低ー

 

 たぶん、こういうところを忘れると、食事を抜き気味になったり、あることをしながら別のことが気になって集中できず、余計に時間がかかったりするのだろうと思った。

 過去を思い返すと、「生活に関すること」に向ける意識が強くて、自分の望みに目を向けなかったり、愛情関係をおろそかにしたりしたことが多かったように思う。その意識も、興味・関心を持つというよりは、どちらかというと強迫観念のようなもので、~しなければならない(=~できていない)、という罪悪感の塊だった。恐怖心で思考が固くこわばっていて、生活のための知恵を本で読むようなことも、しようとしなかった。

 春頃から図書館に行く機会が増え、生活のための知恵に関する本を目にする機会も増えた。お金の管理の仕方についてのアドバイスだけでも、沢山の本があることを知った。大昔に保険会社のセールスをしたことがあり、分かった気になっていたところもある。めぼしいものを読んで、将来に備えるお金だけでなく、今必要なお金についても考えることが大事だと理解できた。ただ使ってしまうのでも、貯めるだけでもなく、趣味や学習を含めて、バランスを考えることが豊かな生活につながるのだと思った。

 

 私は長い間、無趣味だった。休日にすることといえば友人とのランチくらいで、たまにそれに映画が足される程度だった。同僚たちが趣味の話で盛り上がるのを、ただ羨ましく思いながら、眺めているだけだった。だから、趣味やそのための学びに時間や経費を割くこともなく、より仕事中心の毎日を邁進するばかりで、心の中は充実感がなく、空っぽだったような気がする。職場で評価されるととても嬉しくなってしまったり、評価が落ちるとショックを受けたり、他者からの評価に冷静でなく、過度に過敏だったのも、もしかしたらその心の空虚さのためだったかもしれない。

 

 そんな私だが、今は趣味と言えるものがある。そのことを考えるだけでも、気持ちが嬉々とする。趣味に没頭する時間は、幸せなものだと知った。

 そんなわけで、趣味に時間を割いてもいいんだ!と、今は素直にそう思う。ここでは趣味を例に挙げたけれど、それは「自分の望みに関すること」であって、「わくわくする、ときめくこと」なのだと思う。

 「愛情に関すること」は、無意識にいくらでも優先してしまうので、意識的に順位を抑えるくらいがちょうどよいかと思った。

 

 まとめてみると、自分の内側に関することが最優先で、外側に向かうにつれ優先度を下げていこう、ということですね。こんな基本的なことを、今になってやっと理解したのかと思うと、やれやれという気持ちです^^;ちょうどおなかが鳴ったので、このあたりで終わりにします。