ありのままの・・・か

 ここのところ目に・耳にする機会が増えたフレーズですね。私は期を逃してしまい、未だ映画を観れていません。思うところがあったので、考えをまとめてみたいと思います。

(今回から、書き方をです・ますで統一してみたいと思います)

 

 私は、人目に立つことが苦手です。私の名前を明々と明示することも、考えただけで気が遠くなりそうです。この性質のために、なるべく沢山の人がいる職場を選んで、多数の中に埋もれるように、隠れるようにしていました。

 思想犯として追われた前世があるのではないかと思う程、奇妙な恐怖心を感じるのです・・

 しかし、キャリアを重ねれば、そういう多数の中に居続けることが難しくなります。責任ある立場は、より大きな視点から見れば、もちろんそれも多数ありますが、分割されたひとつの組織の中では、数少ない存在になります。その人だから、任せられる。どういう人物であるかが、注目されることになります。

 組織の中でなく、個人で仕事をするのであれば、なおさらでしょう。

 

 恐らくこの、人目に立つことへの恐怖心が、私が感じている仕事のやりにくさに関係しているのだと思います。

 

 以前から理由を探っていましたが、ひとつ、面白い発見がありました。

 私は西洋占星術が好きで、時々読んでいます。その中で、「月の星座」についての考察がありました。普段よく目にする、生まれた時に太陽が位置していた星座とは異なり、月が位置していた星座です。子供時代や、感情などが象徴されるそうです。感情的な面としては、仕事でやりがいを感じられるのはどういう場面か。ということも、傾向を読み取れるとありました。

 私の月の星座は、獅子座です。その解釈は、個人として識別される、個性が光るような、個人としてのキャラクターが立つ場面でもっとも輝く、喜びを感じる、というものでした。

 どうも、私の性質とは真逆のように見えます。これについて、自己矛盾だろうか。一体どういうことだろう。と考えていました。

 もしかしたら?と考えました。例えば、すごく好きで、この人でなければ添い遂げたくない、と思っている異性がいたとします。もし気持ちを伝えて拒絶されたら、とても生きていけないように思えます。そういう状況では、なかなか想いを打ち明けられないかもしれません。

 それと同様に、 心の奥底で強く求めているからこそ、恐怖心も大きいのではないか?と考えてみました。

 そうすると、なんだかしっくりときました。以前、未経験の職種に転向しようとしたのですが、その時はその仕事への憧れが強くあって、無性に怖くなってしまいました。大変緊張してしまい、うまくいきませんでした。

 

 思い出してみると、女子高の頃に、HR委員を担当したことがあります。みんなに意見を求めたり、その意見から企画を立てて実行したりしましたが、大変楽しかったことを憶えています。大学の頃も、打ち解け合った仲間たちの間では、個人的な意見をはっきりと言っていました。

 ありのままの自分、こうありたいという自分は、気づいていない(あるいは忘れてしまっている)、意外な面もあるのかもしれません。そんなことを思いました。