人の数だけ愛がある……はず

 愛された経験のある人は、人を愛することを臆さないといいます。子供の成長過程では、十分に愛情をかけることが大事だといわれます。

 

 では、十分な愛情を受けずに育った人は、人を愛することもままならないのでしょうか?

 

 私は、そんなことはあり得ないと思います……なぜなら、もしもそれが本当なら、誰が今の世に愛というものの存在を繋いでくれたのでしょう?どこかで愛情が途切れてしまったなら、その場所から命を受け継いだ人々は誰も愛せなかったのでしょうか?そんなはずはありません。あらゆる場所が愛に溢れているとは、言い難いかもしれませんが……それでも、確かに私はこれまでに、愛で結ばれた人々を目にしてきました。

 

 もしも十分な愛情を受けた記憶を思い出せないのであれば……まずは自分に愛情をかけてみることが大切なようです。私自身は……清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで、愛する人に思いを伝えてみたところから、心がしなやかさを取り戻し始めたように思いますが……それは幸いなことだと思っています。相手と状況によっては、かなり荒療治かもしれませんね?

 

 そうして自分の心と向き合っていくと、記憶に埋もれていた、愛されていた思い出が浮かび上がってくるかもしれません……親族、血縁ではなくても、偶然通りがかっただけの存在であろうとも、精一杯の心を傾けてくれた誰かの優しさを、ふと思い出すことがあります。

 

 この記事を書く前に、ぐねぐねと頭の中で考え事をしていて、いくつもまとまらない記事を作成してしまいましたが、結局のところ、文句を言いたい訳ではないんですよね。あれが駄目だとかこれが嫌だとか、そんなことばっかり言っていても何にも変わらなくて、これからの自分が何をしていくか。自分ができることは、それしかないんですよね。

 他人のブログを読んでいて、こんな風にきっぱり言い切れたら気持ちいいだろうなとか、こんなにも分かり易く書けてうらやましいなとか思っても、それはその人自身の経験の積み重ねがあってこそのもの。自分の言葉で語っていない、実感の伴わない文章は、どうしてもそれとなくにじみ出てしまうものです。

 自分で思いを書き出したり、思考をまとめたりすることは、根気強く繰り返しやっていくことですね。

 ブログの文章が上手い方を見つけると、その方が自分と同じ思いや考えを綴ってはいやしまいかと、つい記事を読み漁ってしまいます。もしそうであれば、自分で書く手間が省けるではありませんか……笑

 

 私の人生は効率とは無縁のようです。。それでもあきらめませんけどね。^^