私がめんどうくさがりな理由
「めんどうくさい」は怒りである。疲れである。失望感であり、無能感である。
そのざらざらとして乾いた、しつこくて嫌な感触は、なべにこびりついた焦げのそれだ。
恐らく、私の周囲の人々はほとんど気付いていないだろう。
私は独りの時、酷くめんどうくさがりになることがある。
貝のように自分の思想に閉じ篭る。
可能であれば食事や入浴すら省きたくなる。
そうして何をしているかというと、もう本当に何もしない。
ひたすらじっとしている。布団にくるまっている時もある。
手は動かない。本は積まれたままだ。
以前はそのような時、ひたすら自分を責めた。
何もしないでいるのは生産的でない。
社会生活を営まずには人とは言えない。米食い虫だ。
とにかく何かしなければ。しなければ・・
こうなると、延々と自分の首を絞めてしまう。
しかし最近、自分を許せるようになってきた。
正直に言って、疲れが溜まるとめんどうさが増すのは、当然なのだ。
入浴がめんどうくさいというのは、そのひとつの目安だ。
少し休みを取ってから、徐々にそれがわかってきた。
あたたかい湯は心地よく、汗を流すのは気持ちのいいものだと思い出した。
私には、「縮れた髪の毛を抜く」くせがあった。
くせが発動する時、いつも正体不明の焦燥感に駆られていた。
私はその焦燥感が、私を責めているように感じていた。
おい、何してるんだ。そんなことでは、何も成せやしないぞ。
・・いくら不完全な部分を取り除こうとしても、完全なものには仕上がらない。
くせは私を責められている訳ではなかった。
ただ、私に気づいてほしかったのだ。
もしかしたら、何でもよかったのかもしれない。手を動かしさえすれば。
後は身体も動かしたら、大分すっきりするだろう。