渇きと癒し

 昨日友人と会った。長い付き合いになる、数少ない友人のひとりだ。彼女と話していて、つくづく思ったことがある。

 

 私は、あまり一般的とは言えない人生を歩んでいる。ごくシンプルには、ドロップアウト組、といったところか。それだけが理由ではないだろうけれど、自分の状況を理解してもらうのが、やたらと難しい。昨日は、仕事に関する今後の予定のことで、彼女と意見が食い違ってしまった。しかしながら、親しい間柄だからこそ余計に、うやむやに同意してやり過ごす気にはなれず、きっぱりと否定してしまい、嫌な思いをさせたかなあ、と思った。

 友人からしてみれば、私が早く元気になって、安定した仕事に就けた方が、彼女自身も安心できるのだろう。あくまで好意から、先のことをアドバイスしようとしてくれたのだろうと思う。

 しかし、私が感じていることを正確に伝えるには非常にややこしく、その場で伝えるのは難しかったため、短く彼女の言葉を否定する形になってしまった。このような結果にしないためにも、改めて自分の考えをまとめたいと思った。

 

 この後長々と文を連ねていたのだけれども、自分で読み返しても焦点がわからなくなる程長くなってしまった。仕方ないので割愛してまとめると、過去の職歴の経緯で、私は会社というコミュニティに所属することに対して、強い抵抗を感じるようになったということだ。恐らく自分の性質は、例えるなら訪問客であり、一時的には受け入れられても、組織内で継続した関係を育むのが難しいのかもしれない、と考えている。

 

 だから、友人が私の次の仕事に関して、就職先を心配してくれるのはありがたいのだけれども、私は企業に就職することを考えないようにしている。組織の一員として機能するには、私は無骨過ぎるのだと思う。だけど、前職を追われたことだけを理由として話せば、そこで偶然遭遇した経験だけで判断することはないじゃないか、次は上手くいくよ、と諭されるだろうし、それ以前のことからとうとうと話したりしたら、何が言いたいのか焦点がはっきりしないだろう。

 過去を全体的に見て、長く続ける仕事を求める為には、これまでと同じ手段ではいけない、変えていかなければならないと考えている訳だけれど、苦渋が理由だと言い張るにしても、どこからどこまで話したら友人が納得してくれるのか、全く見当がつかない。会社で働くのが難しいと考えていることについて、説得力のある単純化された理由が思いつかない。

 

 どこかで読んだ記事で、医師となった方が、その職業を選択した理由を書かれていた。その方は、「上司が尊敬できない人間だったら、会社員を続けることはできないだろう。」と思ったそうで、上司を持つ必要のない、医師になることを選んだそうだ。そのくらいシンプルに、自分の気持ちを理解できていたら、なんて素敵なことかしら、と、切に思います。