心の拠り所
例えとして、大海の中を想像してみるとしよう。
ある人は気持ちよく泳ぐ、広い海を想像するかもしれない。
ある人は、冷たい海を漂っている様子を思い浮かべるかもしれない。
想像の中身は、その人の精神状態によるだろう。
メンタルの健康を保つことも、自己管理のうち。
自己管理とは一人で抱えることではなく、必要に応じて適切な相手や機関に助けを求めることも、含んでいる。
メンタルヘルスについて、セルフケアの大切さを学んでいる。
以前は自分の感受性に劣等感があったせいか、斜に構えて素直になれなかった。それがどういうわけか素直になれて、学ぼうという気持ちになれた。
感じ方、受け止め方は人による。
私の感じ方、受け止め方は少数派で、多くの人達とは違っているのかもしれない。
だけど、だからといって口をつぐむのは、私以外の誰かが多様な意見の一つを知る機会を奪うことになる。私にとっても、自分の意見を表に出していかないのは、さみしいことだ。
一歩前進できた気がする。
考える人
私は考える人だと思う。感じることより、考えることの方が、優先していると思う。
だから、何か考え出すと、空腹を忘れたり、水分を摂るとか手洗いに行くとか、人として必要なことを後回しにしがちで、健康を害しやすい。
昔、コールセンターに勤めていたことも、関係しているかもしれない。自分の都合で席を外せなくて、我慢しなければならないことが多かったから。
「感じる」ことを、取り戻そうとする。そのためのコツをアドバイスしたり、感じ合える仲間を増やす活動をしている人が、沢山いる。
とてもいいことだと思う。
今の若い人は、人の「合う・合わない」に、私の世代よりセンシティブなのかもしれない。
私には、いつまでたっても、「エモい」がわからない。なんでも短縮すればいいとは、思わない。感性の違いだと思うけど、若い人には、古いと思われちゃうのかな。
扱う言葉は、いろんなあなたを表現するものだから。大切にしてほしいなって、思います。
価値があるもの
母が以前からごちていた、ダイヤの結婚指輪のこと。 もうそろそろ、リフォームに出して満足してくれそう。
母はその結婚指輪を、父が安く買った物だということと、さらに私が大学の時に父が他界したため、行き場のない不満もあってか、ここしばらく着けられもしない、売っても大して価値がない、と繰り返しこぼしていた。
リフォーム代は、かかってしまうけれど。品質の良いダイヤだと、繰り返し褒められていたし、私もそう思う。 結婚当時の貧乏の中、小さいが綺麗なダイヤを、よく買ったものだと思う。小さい頃から眺めさせてもらったから、すっかり目が肥えた。 お気に入りのデザインにしてもらって、母が着けた笑顔を、早く見たいものだな。